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復讐 仕返し 報復復讐代行

殺人

復讐 仕返し 報復

最近、親を殺してくれ、兄弟姉妹を殺してくれ、というメールが入る。
ただ事ではないので電話で話すとすぐにでも親を殺しそうで自分自身が怖いという。
電話でそんなに嫌なら家を出ればいいだろう、と言うと、引き籠りのような感じがする。中には数か月人と喋ったこともない人もいる。年齢は30代~40代に圧倒的に多い。その歳で引き籠りでは親にうるさく言われるからだろう。

親殺しの依頼とは無視することもできないので、調べて親と電話で相談することも多い。
すると、今まで親に暴力を振るい、包丁で刺されたこともあるという。
話を聞くと家庭に問題があるという共通点がみんなある。つまり子育てに失敗している。

人間を取り巻く共同体には難しい問題がある。
学校、職場、隣近所、地域共同体、自分の住んでいる県、国、そして世界という風に、人間はさまざまな共同体の中で存在し、かけがえのない影響を受けて生きている。
家庭は、共同体の中で一番小さなもので、個人一人ひとりにとって一番大切なものである。
人は生まれたときから死ぬときまで、家族という共同体の中で成長し育つ。

家庭の中で、人は自分の本当の姿をさらけ出す。学校や職場の中では勉強や仕事が中心であるから、個人のすべてが学校や職場ですべて出ることはない。共同体の中の人数が多いから、名前さえ知らない人、一度も口を聞いたことのない人も多い。同じ部署の人でも役職が違うと口の聞き方まで違って、他人行儀である。
家族は小人数であるし、親子は血が繋がっているから、何でも話し合うことができる。

母親は子供を懐妊した時点から、腹を撫でさすり、お腹の中の子供に語りかけ、そのときからもう子育てを始めている。
父親は子供が危険な目に遭った時には、命に代えて守ってやろうとする。
そういう親子の愛情は、家庭の中で育つもので、学校や職場にはないものである。家庭の愛情の中で、子供はすくすくと育つ。家庭の中では、親も子も本音を出し合って生活する。家庭の中では、子供にとって親の地位や名誉という外面とは関係なく親の本心を見抜いて育つ。子供も親には自分の本心をぶつけ、それを受け止めてもらおうとする。

人間の嘘偽りのない姿

人間の心には実にさまざまな想念が去来する。一日の生活の中でも、まるでそれが1千年の出来事のように複雑な起伏を伴って意識は動いていく。
エレベーターに乗って8階まで来たとき、廊下を歩いていると、8階から街が遠くまで眺められる。もしここから飛び降りれば、死んでしまうという想念が浮かぶ。死の実態的なイメージが心の中に像を結ぶ。子供の頃、高く細い道を渡るのが怖かった。心が震えた。そんな自分を臆病だと思った。ところが当人は今、高層マンションの上階に住んでいる。不思議に高い所に魅了されるのである。高い所から下に落ちる夢も何回も見たことがある。実際には、高い所から下に落ちた経験は一度もない。するとその夢は、自分の経験ではなく、他の誰かが経験したことへの自分の意識下の好奇心が夢となって表われた、自分の中にある不安のひとつの具体的な形である。
意識はその場の風景や出会った人間によってさまざまな想念を喚起され、その想念は矛盾した別の想念を呼び起こしたりする。意識の動きはその人間の性格と環境によって個性的な流れをもつ。その意識が、意識として心の中で動くだけではなく、家庭の中で、本当の自分の姿として、行動として投影される。

個人が一番影響を受けるのは自分の親である。
赤ちゃんの時から親に抱かれて育ち、親の温もりを自分の体は知っている。親の喋り方が自分の喋り方に一番強い影響を与える。小さいときは、幼子にとって親が宇宙なのである。
しかし小さいときから、親に反発もする。男の子なら、親の体を蹴っ飛ばしたり、女の子なら、親を小馬鹿にした言葉を投げつける。そして親の反応を試している。それはどの子供もする子供の成長期の姿である。これは家庭の中でしか、親と子供の間でしか起こらない。親と子の秘め事のような事である。しかしその反応は、親によって大きく異なる。
家庭の中のひとつひとつの事、親と子の間のこと、兄弟姉妹同士の間でのことが、個人の性格を形成していく上で、大きな影響を与えていく。

人間の中に過ぎる意識、想念、強迫観念、夢、希望、愛、欲望は実にさまざまなものがあり、人間はそれらを現実の中で形にしていくのであるが、現実化されえないものもたくさんある。強い不安、怯え、恐れ、夢、甘え、ユーモアのようなものは、家族の中で、受け止めてもらいたいと思う。
それらの不安や夢、甘えには、家族の中から生まれるものも多いからである。
嘘偽りのない自分の姿を、家族の中で暖かく支えられることによって、人間は逞しく強く育つ。

共稼ぎ家庭

家族は、大家族から、核家族、そして共稼ぎ家庭へと移行しつつある。
戦後まもなくは、日本には大家族制度がかなり残っていた。50代以上の人々は、大抵大家族の中で過ごした人が多いはずである。
大家族から核家族へ移っていくのは、受け皿である家の建築様式とも関連している。大家族の場合には、日本的な昔からの家の建築様式が残されていた。その様式は雪国のわら葺屋根の建築様式や南国の瓦屋根様式など、地方によってそれぞれの伝統があるが、ほとんどが平屋建てで、庭や菜園、そして倉庫や風呂場、トイレが外の建物にある場合が多かった。
個室というものはほとんどない。寝室が昼間にはくつろぎの空間や仕事、勉強の場であり、人々の寄り合いの場でもあった。ほとんどの部屋は畳の和室か板敷きの間で、洋室はなかった。天井には、太い黒ずんだ垂木が見え、障子の窓と通して柔らかな光が部屋にみちていた。

子供の独立した勉強部屋と、夫婦の独立した寝室と、機能的で合理的な台所が求められるようになって、核家族のための家建築が瞬く間に増えていった。
女性の人権尊重意識の増大とともに、外で働く女性が増え、共稼ぎ家庭が多くなった。
共稼ぎは、バブルの崩壊後、増えた。夫の稼ぎだけでは一家の経済的生計は成り立っていかず、それを助けるために、女性が外で働きだした。
もっとも仕事の能力は女性よりも男性の方が優れているとは言いがたい。女性でもさまざまな分野で、男性を上回る創造的な仕事をしている人間はたくさんいる。
共稼ぎ家庭が増えることで、離婚が増え、片親家庭が多くなった。
何よりもお金を優先する生活の仕方は、家族としての絆を崩壊させる。

共稼ぎは、生活に経済的なゆとりを生み出させるためだけではなく、生活苦から逃れるためにも両親が働く。
男親だけが働いていたときは、男は会社のために残業をたくさんこなし、夜遅くまで、夜の12時近くまで残業する人々も多かった。家に帰れば、子供は寝ている。休みの日は接待ゴルフで、朝から出かける。
自然と、子育ては母親の手に委ねられた。
共稼ぎだと、両親ともに、仕事のストレスからへとへとになって家庭の中にいるという場合も多く出てくる。家に帰ると、酒を飲み、テレビを見て、仕事のストレスから解放されようとする行動が多くなる。酒は現代では女性も多く飲む。
稼ぐという行動で疲れ果てて、一家の互いに暖かく支えあう絆の心棒は何処にもなく、家族はばらばらになっている。

崩壊する家族

裕福な家庭でも、崩壊する家族はたくさんある。
住宅地域にある豪華な邸宅である。誰もが一度はこういう家に住んでみたいという欲望を起こさせる邸宅に家族は住んでいる。
父親は仕事一筋で、夜遅くまで仕事をし、出張で家を空けることも多い。会社では管理職である。
母親が子育てをするが、子供にたくさんの物を与え、その点ではどの家庭にも引けをとらないという自身はある。
教育は家庭教師任せである。子供が大きくなるにつれて、親に反抗し、学校にも不満で不登校になる。まず子供は母親に暴力を振るい、母親を小間使いのようにあしらう。
家族で外で豪華な食事を取ることがある。男親は他人の女性のお尻や胸を眺めて喜んでいる。女親は夫を無視し、顔に化粧し、食事の美味をひたすら味わっている。食事には、家族の暖かい会話は全くない。子供は密かに男親の欠点を捜している。
「この食事は美味しいだろう。自慢のレストランだぞ」と男親は子供に言う。「あんた、誰だっけ」子供は平然とした表情で言い放つ。男親は煮えたぎる怒りに震えるが、高級レストランの手前、黙っている。
「お前さん、他人の尻ばかり見て、度スケベなのはよくわかったが、てめえの妻の顔は覚えてるのか。化粧してお前の視線を待っているんだぞ」子供は男親にいう。
この夜から、子供の男親に対する暴力が始まる。
両親が傲慢な人間では、子供も自然と傲慢になる。幼いときから、親から無視されて育った子供は親に仕返しをするときがくる。

共稼ぎ家庭では、少しでも稼ぎが多くなることが楽しみになる。どこかで一攫千金の夢を見ている。もし一挙に大金が手に入れば、遊んで暮らせるからである。親は暇があれば、パチンコ、競馬、競輪などで遊んでいる。遊んでいるのではなく、本人にしてみれば、一生懸命稼いでいるつもりなのである。
宝くじも買う。3億円当たれば、仕事を辞めて遊んで暮らそうと考えている。
会社の都合で残業が減る。手取りの給料が大幅に減額になる。一体俺は何のために生きているのかと、一気に落ち込む。
子供を虐待する。子供に膝蹴りを食らわせ、顔にアザができるほど殴り、食べ物を与えない。
子供が邪魔者になるのである。子供を怯えさせるほど睨みつける。子供に絶対に笑顔を見せない。子供がお漏らしをすれば、折檻をして子供を殴る。
親の虐待を受けている共稼ぎの家庭も増えている。

子供は親の愛情に敏感である。
どんな家庭でも、子供は親の具体的な愛情を受けて育つ。この愛情は理屈ではない。親が議論することが上手で、言葉巧みでも、自分の子供に具体的な、細やかな愛情を示せなければ、子供は親の態度に応じた愛情を受けて育つことになる。愛情には誤魔化しはきかない。愛情は時には偽善になることがある。子供は偽善の愛と本当の愛を見抜く。本当のものを見抜くには、学歴はいらない。本当のものは、心と体にするどく伝わってくる。傲慢な人間は本物を見つけることはできない。いつも偽物を本物と勘違いしている。本物は上等な家の中に上等なものに包まれて存在することはほとんどない。本物は苦しみの中にある。
貧しい家庭でも、愛情豊かに育つ子供もいる。共稼ぎ家庭でも、逞しく育つ子供もたくさんいる。
しかし現代社会において、共稼ぎ家庭は、稼ぐことにばかり追いやられて、子育てに余裕のない家庭が多い。